がん患者ががん標準治療の大切さをまじめに説いてみる

あるスポーツ選手が、がんに罹患したとの報道があった。報道によると、目が不調で検査したところ胃がんが見つかり、ステージ4で脳への転移もあるという。本人だけでなく、家族や近しい人たちにとって辛い現実だろうと察する。
正直なところ非常に難しい状況だと思うが、がん治療は日進月歩。まだ諦めるには早いだろう。種類は違えど同じくがんと戦う人間として応援したい。そう思っていた。

ところが、その報道から数日も経たぬうちに、治療費のためのクラウドファンディングが有志で始められたらしいと知り、その内容や経緯を見るとどうも首を傾げたくなるものだった。保険適用外の治療も視野に選択肢を広げたいということで、数千万円というかなりの額を募っている。

この選手はすでに放射線治療を受けていて、これから抗がん剤治療を始めるというが、この時点で有志が「保険適用外の治療となると、費用も我々の想像をはるかに超えるような金額のものもあり、我々の力だけでは難しい部分があります。彼の選択肢を広げるためにも、皆様のお力を貸してください」(引用ママ)と声明を発表している。告知からまだ日も経っていない、つまり標準治療がまだ尽くされていないと思われるが、すでに保険適用外の治療も選択肢にしたいというのはどういうことなのだろう。

ところで「標準治療」とは何だろうか。

「標準治療とは、科学的根拠に基づいた観点で、現在利用できる最良の治療であることが示され、ある状態の一般的な患者さんに行われることが推奨される治療をいいます。」

国立がん研究センター「がん情報サービス」

数多くの臨床試験の結果を専門家が検討した結果の最善手である。長い歴史の上に培われた定石であるともいえる。そして、国がその有効性や安全性を認め、公的医療保険が適用される。多くの医師はこの内容を理解し、それぞれの患者に合わせた標準治療の選択や組み合わせを行っている。その結果も病院内や他の医師に共有され、経験知として育まれる。

すこし僕の話をしたい。
僕ががん治療のため入院し、そこで初めて出会った主治医にこう言われた。

「世界中でがん患者が病と戦ってきた膨大なエビデンスがあります。あなたのがんは稀な種類のものですが、エビデンスに基づく標準治療は確立されているし、選択肢はたくさんあります。僕はその中で、あなたに最適なものを選んでいきます。公助も受けられます。きっと治してみせますから、僕やチームを信じてください。」

この一言で、僕はすべてを彼に委ねることにした。先生に命を預けます、よろしくお願いします、と託した。
それから長い時間はかかっているし、時にはつらい副作用もあるが、この一言が希望になって今日まで生きてきた。あちこちの内臓にあった腫瘍は少しずつ縮小し、寛解も見えてきた。再燃の可能性はあるが、そのときの打ち手も用意してもらっている。この打ち手は体への負担がさらに大きいものだが、切り札として使えるものだ。一昨年、この切り札が保険適用になったということで話題になった。これにかかる医療費は家が一軒建つほど莫大な金額なのだが、公助のおかげで患者の負担はごくわずかで済む。

長い戦いで経済的に追い込まれつつある。しかし、病院に患者サポート部門があることを知り相談したところ、数多くの公助について知ることができた。公助制度は複雑で、素人が調べてもなかなか理解できない。しかし、患者サポート部門はそういった制度に精通し、それぞれの患者に必要な情報をわかりやすく教えてくれる。この先、どのような状況になるかまだ見えないが、どうにか糊口を凌ぎながらやっていける算段は見えている。

心のサポートも受けている。僕は緩和医療の一環として、主治医と連携した精神科医や心理士のサポートを定期的に受けているし、不安なときの薬や安心して眠れる薬も処方してもらっている。こちらももちろん保険が効く。緩和医療というと、終末期に安らかに死を迎えるための医療と勘違いされるかもしれないが、そうではない。がん患者がどんな状況であれ、抱えるつらさを総合的にケアしてくれる医療だ。多くの医療機関が持っている機能なので、積極的に活用してほしい。わからなければ主治医に聞けば良い。

話を戻そう。
標準治療というのはエビデンスに基づいた医療だが、今話した総合的なケアやサポートを安心して包括的に受けられるベースでもある。決して、がん細胞が消えればよいという単一の問題にフォーカスすればよいものではない。

何も自由診療を否定しているわけではない。民間療法も同様だ。自分が納得しているのならば、それを選択したっていい。
ただ、標準治療はこれらとは比較にならないほど膨大なエビデンスに基づいて作られている。伝聞のような「●●が効くらしい」という怪しい情報や、テレビや雑誌などで「個人の感想です」と小さく前置きしながら、あたかも効果があるかのように錯覚させる情報とは訳が違う。

そのエビデンスに基づいた標準治療を尽くさないうちに、自由診療に頼るのはいかがなものか。
何かにすがりたくなる気持ちはわかる。ただ、自由診療の一部は、そういう感情を巧みに利用しているのだということも忘れてはならない。何らエビデンスが示されない療法に支払われたカネの多くは患者のためにならないどころか、一部の人間を肥やしているだけでないだろうか。今回クラウドファンディングで集まるであろう善意だって、金儲けに走った人間が乗る高級車や、寿司屋の飲食代に化けてお終いになるかもしれない。あまりにも残酷な言い方だが、そんな危惧を抱く。

他人の善意のやりとりに口出しするな、と言われるかもしれない。その通りだ。
しかし、こういった事例が積み重なると、がん治療は非常に高額なものだという誤ったメッセージが人々の間で共有され、標準治療を基礎にした医療制度の崩壊にも繋がりかねない。日本の医療制度には多くの問題を抱えつつも、世界的に見ればとても優れたものだ。どんな状況の患者であれ見捨てられることはない。治療が望めない状態だと言われてもセカンドオピニオンで望みを繋ぐことができるし、治療をあきらめたとしても自分らしく生きるために終末期の緩和医療を選択することができる。

手を尽くさないうちから自由診療だクラファンだ、というのは誰も幸せになれないのだと思う。

この記事を書いた人

Osamu Takahashi

悪性リンパ腫 / 上級ウェブ解析士 / 初級SNSマネージャー / GAIQ / ITコーディネータ / デジタルマーケティング / WordPress / WP ZoomUP / デレマス / 明日やれることは今日やらない / 執筆「1週間でGoogleアナリティクス4の基礎が学べる本」
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